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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -666- 化粧品屋の看板娘

家に栗饅頭がたくさんある。まぎれもなく団塊農耕派の買ったものだが、認知症の症状が出て、買ったことを忘れてまた買ってしまったわけではない。恥ずかしながら老いらくの恋のなせる業なのだ。


母は90を過ぎてから夕刊を配達するおにいさんに恋して、3時ごろからたくさんの貢物を用意して門の前で待っていたが、血は争えず、団塊農耕派も近くの和菓子屋の若い女店員さんにご執心なのである。母子に共通なのは、それが実らぬ片思いだということだ。


 店には3人の女性従業員がいるので彼女に当たる確率は3割だが、他の2人の接客中を見計らってレジに突入するのでかなりの確率で彼女とお話できる。タイミングを逃した時には買わずに帰るか、買う商品を減らすか、咄嗟に考えることにしている。


なぜご執心かと言えば、まずは可愛いからだが、それだけでない。彼女はその見かけとは裏腹に、和菓子に対して深い造詣を持っていて、会話が奥深く、とても楽しいのだ。


「栗饅頭とコーヒーは合いません」最初の出合いはこの言葉で始まったが、自分の扱う商品に、自分なりの哲学と美学を持っていることに感動したものだ。


以来、団塊農耕派は彼女の言うことを盲目的に信じ、彼女の知識を自分の雑学かのように使わせてもらっている。看板娘とは美貌に加えて知性と会話力が備わって女性に与えられる勲章だと思う。



ところで「良い商品は良い人から」というスローガンが30年程前、資生堂の工場内に貼られていたが、ここでの「良い人」とは明らかに「工場の人」だった。しかし30年後の今、じっくり考えてみると「良い人」が「お店の人」であっても成り立つスローガンであることに気づく。「良い商品は良いお店から、そして良い人から(買う)」、まさしく化粧品専門店の使命を言い当てている。


釈迦に説法だと思うが、専門店の奥様に問うてみたい。自己問答してみて欲しい。自分はお客様から良い人だと思われているだろうか。自分に会いに店にやって来てくれる人がどれだけいるだろうか。いやそれ以前に、そもそも店は良い商品を扱っているだろうか。利幅の大きい商品や著名メーカーの商品を良い商品だと思っていないだろうか。



煙草屋から看板娘が消えたが、それは煙草が日陰者に追いやられたからで、もし煙草の良さをお店が正しく説明でき、国が税率を下げ、昔のように皆が競って買うようになれば、看板娘は必ず現れ、商品の良さも悪さも説明してくれるだろう。愛煙家はコンビニで機械的に買うこともなく、看板娘会いたさに日参するはず。しかし時代はそうなりそうにない。


化粧品店も同じかもしれない。化粧品を良い人から買わない時代が来てしまった。通販やドラッグで買いたい人が増えれば化粧品屋に看板娘は要らなくなる。でもそれでは寂しい。町の専門店にこそ良い人、すなわち看板娘がほしい。


化粧品屋の看板娘は、笑顔で店番をするだけの煙草屋の看板娘とは違って、愛嬌と風貌だけで勝負はしないが、綺麗にしてあげる人が綺麗であれば、鬼に金棒。カウンセリングの説得力は一層増す。和菓子も化粧品も良い人から買って初めて価値が出る。

(団塊農耕派)

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