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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】-694- 只管(ひたすら)⑴

「ひたすら」を漢字で書くと「只管」となる。空っぽの管(くだ)の中を無心で歩き悟りをひらくという意味で、曹洞宗の教えから来ている。いまどき流行らない教えだが、昨今の日本人に足りないものは何かと問われた時、団塊農耕派は「ひたすらさ」を挙げる。



修業しなくても開業できる時代、手間隙をかけた牛乳より汲んだだけの水の方が高く売れる時代…、ひたすら努力をしなくても欲しいものが手に入ってしまう時代を「有史以来の不幸な時代」だと言う人も居る。勤勉さが美徳だった時代は終わっているのかもしれない。



今日も日本の若者が闇バイトに応募して逮捕されるニュースが流れているが、一方で日本各地の観光地では中国の若者が縦横無尽に振舞っている。どちらも迷惑千万な話だが、彼らのここまでの人生には共通点がある。一人っ子政策で甘やかされて育ってきたのに突然の経済不況で将来が見えなくなった中国の若者。そして生まれた時から不況で、大望どころかささやかな夢すら持つことなく育った日本の若者。ともに社会への反発が起爆剤になっている。


ただ一方が嫌われる程度の言動なのに対し、一方は殺人まで犯してしまうほどに追い詰められていることを考えれば、日本の若者の方が深く病んでいると言える。



人権意識が急激に高まり、10年前には批判されなかった教育方法が悉く否定され、僅かな暴力も、許される範囲の差別行為も、良質な性差もみな悪とみなされ、子ども達は「叱られない、我慢しなくていい」温室の中でぬくぬくと、いやビクビクと育てられてしまい、不登校もすべて環境のせいにしてもらえた。この『非干渉ワールド』では社会性は身につかず、喜びや不満を外に爆発させる手段を学べなかった。



「苦労は買ってまでせよ」は古い日本の格言だが、温室育ちの若者には通用しない。最小の努力で最大のアウトプットが得られれば、「苦労などしたくない、汗すらかきたくない」と思っている。坂本九の歌う「見上げてごらん夜の星」は夜学に通う若者が貧乏にも負けず大きな夢をもって辛い徒弟社会で頑張るというものだが、欧米人にはナンセンスと捉えられた。「欲しいものがあれば借金してでも直ぐにゲットすべき」これが彼らの考えだったが、時代は流れて今、日本の若者もこの思想に毒されている。「勉強はきらい、でも大卒の資格は欲しい」そんな若者が奨学金をもらって4年間を無為に過ごし、卒業後返還に苦しむケースが見られるが、旧夜学生に言わせればそれは自業自得以外の何者でもない。



時代も後押ししている。岸田政権は「貯蓄から投資へ」を推進し、子どもまでもが金融の勉強をするといういびつな時代が訪れている。一攫千金の話やIT長者の話、起業のススメなど若者を取り巻く環境は一変し、みな乗り遅れまいと必至の形相だが、その学習に縁がなく、あるいは追いつかず挫折した若者が闇バイトに走ってしまうのだと思う。株式も競馬も博打ならば、競馬のほうがよほど潔いと思うのは団塊農耕派だけだろうか。



転職サイトの宣伝になんと大企業の社長が登場しているが、それは人材育成の放棄宣言でもあり、志の貧しさにあきれる。既製品(人)を求めるのではなく、ひたすらの研鑽を通して企業も社員も大きく、そして豊かになろうと何故言えないのだろうか。

(団塊農耕派)

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