バブルの頃、安売りで名を馳せた城南電気の社長率いる買い物ツアーがパリのエルメスの店舗に入れてもらえなくて泣きべそをかいたエピソードがあるが、ブランドとは今も昔も高飛車且つ排他的で、人権擁護団体のヤリ玉に上がらないのが不思議なくらいだ。
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大学にも偏見と先入観が作る独特の校風がある。早慶に対する世間のイメージはほぼ固定されているが、団塊農耕派が「慶」の卒業生だとわかるとみな意外な顔をする。おしゃれでもスマートでもない田舎者が「慶」であってはならないようだ。
正月の箱根の大学駅伝を見ていると「なるほど」と思うことが多い。明治や早稲田は剛健で汗臭く、青山や立教は今風の男の子だがモヤシ然としており、中央の白いユニフォームは実直そのものだ。Y学院やS大学の緑のユニフォームは伝統の浅さを物語っている。ところが近年はずっと軟弱だと思っていた青山が連覇を続けている。団塊農耕派が抱き続けてきた大学のイメージはもはや過去のものになっている。
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ホテルの個性の差は大学の比ではない。昨今は外資系の大型ホテルが増えているが、古くても歴史のあるホテルや和風テーストのホテルも評価は高い。マンハッタンの高層ホテルよりベネチアの石積みのホテルのほうが好きだという人は意外と多い。
10年前ラオスで1泊6万円の「アマンタカ」というホテルに泊まったが、アマングループの高尚趣味についていけず、翌年からはそれまで使っていた1泊5千円の「セタパレス」に戻してしまった。セタパレスは民族系のホテルだが、居心地が良く、今でも定宿として使っている。日本でも星野グループの運営する高級ホテルがあるが、エセKOボーイは疲れるだけだろう。
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以前は都内にも小さいけど人気のあるホテルはあった。その代表格が「麻布プリンスホテル」だが、いまそれがどこにあったかを探すのに苦労する。跡形も無いのである。団塊農耕派にも脱田舎者を試みた時期があった。平凡パンチが特集した「女の子を誘いたいシティホテル」でこのホテルの存在を知り、いつか泊まってみたいと思うようになった。
その長年の夢は新婚旅行で果せたのだが、いまその日のことを思い出せない。地下鉄の広尾駅から豪雨の夜道を歩いたこと、新婚なのに早速ケンカしたこと、翌朝羽田までの電車が遅れて高いタクシー代を払ったこと、そんなことしか覚えていない。しかしそんな薄い記憶はよけい麻布プリンスホテルの神秘性を助長している。超一流でも無く、それほどの個性もなく、もちろん値段も高くなく…、でもなぜか忘却してしまうには惜しい気が。
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似たようなホテルがある。御茶ノ水にある「山の上ホテル」だ。三島由紀夫が好んだ宿で、「有名にならないように、流行りすぎないように」というメモが残されている。団塊農耕派も最初の小説を書いたとき、文豪気分に浸りたくてこのホテルに泊まったことがあるが、筆が進まず、名物のカレーを食べて早々に退散してしまった記憶がある。
ところがこの愛すべきホテル、老朽化を理由に休業していたが、驚くようなニュースが舞い込んできた。明治大学が買収すると言うのだ。「それでいいのか山の上ホテル!」好きな女性を意外な男に取られたような、寂しい気持ちになっている。
(団塊農耕派)
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