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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】-699- スマホやめましょ

オーストラリアが子供をSNSの弊害から守る大胆な法案を成立させた。英断だと思う。


この国は子供を紫外線から守るためにサングラス登校を義務付けたり、海洋資源を守るために特定のサンケア商品を禁止したり、即断実行を厭わない先見の明のある国だったが、今回も反対勢力に臆せず、信念を貫いたようだ。



「SNSには長所もあれば短所もある、だから一律的な禁止には反対」とする良識派の意見は正論なので反論しにくい。だが事態はそんな甘っちょろい意見は危険だという段階まで来ている。


極論すれば「有益な情報が取れる」というのは行き過ぎた性善説。世の中も子どももSNSのせいで悪くなる一方。代替ツールはいくらでもある。本や新聞を読めばいいし、テレビを見ればいいし、友達をたくさん作ればいい。そんな昔道徳の授業で教わったような価値観が強くなってきている。


ネットを操れば分不相応な人でも当選できてしまう政策不在の選挙、欧米や韓国に見られる国民の分断化、大手まで手を染めている詐欺まがいのサブスク商法、若者を捨て駒扱いしている闇バイト、嘘ばかりの化粧品通販、これらの出来事の背景にSNSが在ることをいまや誰も否定しない。だから一見古臭い、時代遅れの意見が新鮮味を放つ。不便と堕落を秤にかければ、誰もが不便を選ぶ。



SNSありきの社会は怖い。団塊農耕派は通勤電車の車中におぞましさを感じる。乗客のほぼ全員がスマホをいじっている。これほどまで情報を求める国民だったかと笑ってしまう。昔も車中で新聞に没頭する人はいたが、せいぜい2、3割だった。大した目的も無く条件反射的にスマホを開くのがクセになっているのなら、それは病気と言わざるを得ない。この禁断症状を直すには薬が必要だが、特効薬は「意思を持って手放すこと」以外にない。



10年前信州大学の学長は入学式で「スマホやめますか、それとも信大生をやめますか」と刺激的な発言をしたが、彼の言いたいことはそれに次ぐ文章にあった。


「せっかく都会の喧騒とは無縁の地に来て、モノやサービスに惑わされることなしに創造的な思考を育てる機会に恵まれたのに、まだアニメやゲームに無為な時間を費やすつもりですか」「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何者でもありません。スマホの世界に浸ると脳の取り込み情報が低下し、4年はあっという間に過ぎてしまいます」「自分で考えることを習慣づけましょう。独創性豊かな信大生になりましょう」



コロナがテレワークという孤独な作業に市民権を与えたことになっているが、それ以前から件の学長の意見をアナクロだと却下し、スマホを人生の道しるべとしてきた若者は少なからずいて、彼らにとっての心安らぐ場所は皆の集まるオフィスではなく、自由にスマホをいじれる自宅だっただけのことで、コロナが彼らから社会性を奪ったわけではない。


企業もSNSを見直してみる時だと思う。デジタル機能を高めればコミュニケーションから人間的な要素を取り去っても実績を維持できると思ってはいないか、画面を相手にする仕事のやり方が社員の創造性を台無しにしていないか、オーストラリアや信大学長の爪の垢を煎じて飲んでみたらいい。

(団塊農耕派)

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