トランプが最初にこのコラムに登場したのは第304話だから、長い付き合いになる。
何度もこき下ろして、失脚の喜びも味わったが、元の木阿弥で、またスタートラインに戻ってしまった。もう一人の嫌いな人物は昨年名門球団の監督の座を追われたのでもう登場してくることはないが、どんなに毛嫌いしてもトランプはこのコラムの常連として居座りそうだ。汚いものにほど目が行ってしまう、コラムとは切なく悲しい。ちなみにここでは敬称をつかわない。日本製鉄の社長のように尊敬できない人は呼び捨てにする。
「アメリカ人とはこれほど単純で身勝手な人種だったのか」今世界中の人がそう思っている。自分さえ良ければよく、聴く耳を持たず、人権も環境もどうでもいい…、人間として問題があると言わざるを得ない人間を自分たちのリーダーとして仰ぐことに後ろめたさを感じないとは、アメリカはそこまで病んでしまったと思わざるを得ない。
白人労働者を扇動してトランプは再び楼閣に登ったが、この労働者たちの心の中を覗いて見たい。彼らの状況判断力、いや知的能力にかげりがないか知りたい。まずはトランプやイーロンマスクのようにお金に汚い富豪が、自らの強欲のためでなく、貧しいラストベルトの人たちのために働いてくれると本気で思っているのか、それを知りたい。素直な彼等には騙されているという自覚がないのかもしれない。また政策の手段がことごとく無慈悲な〝問答無用〟によるが、そんな手段で得た利権を恥ずかしいと思わないか。さらに自分ももとは同じ移民だったのに自分の生活が苦しくなれば同じ素性の人間を追い払ってもいいのか。そして薄情者とののしられたとき何と言って反論するつもりか、知りたいことは山ほどある。それほど団塊農耕派はアメリカ国民の心根の変化、いや劣化が気になる。
トランプ政権に参じる閣僚は皆イエスマンのようだが、このイエスマンたちは総じて〝きつい〟顔をしている。温かい血が一滴足りない顔をしている。前科者だったり未熟者だったり、トランプ人事とは〝類は類を呼ぶ〟ものらしい。
ところで同じアメリカファーストの風潮は団塊農耕派がアメリカにいた40年前にもあった。大統領はトランプと同じく素人政治家のレーガンだった。日本の商品が叩き壊され、ジャパンパッシングがあらゆるところで見られた。マンハッタンの一等地には日本メーカーの宣伝塔が乱立し、日本人として申し訳ない気持になったことを記憶している。
でもエコノミックアニマルと揶揄されても日本人個々が追い詰められることはなかった。団塊農耕派の住んでいた田舎町は今も昔もラストベルトだが、皆温かい人たちばかりで排他的な発想をする人は居なかった。大学の主燃料は石炭だったが、それが地球温暖化に悪さをしていると知られ始め、代替原料の研究をしている研究室もあった。
町の基幹産業は小麦だったが、家族経営の零細農家にもトラクターの運転手として移民が入り始めていた。移民は大切にされていたように思うが、「ソビエト産の小麦が安価で輸入されて困る」と言っていたことを思い出す。その後の40年のラストベルトを知らないが、トランプを生む土壌はこのころすでに出来つつあったのかもしれない。
(団塊農耕派)
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