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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -687- DV

昔もモテる男とはそうだったのだろうか。女性と対等、いや優位に立っていたのだろうか。ほとんどモテなかった昭和の男、すなわち団塊農耕派にはいまどきの若い男女のパワーバランスが不思議でならない。



DVは家庭の中だけでなく、デート中の男女の間にもあるらしく、言うことを聞かない女性に男性が暴力を振るうのだそうだ。にわかに信じられないが、性差を意識すること無く、自由奔放に振舞う男性が増えているのは間違いないようだ。団塊農耕派の時代にもそのような〝進んだ男〟は居たが、オトコの風上にも置けない奴として見下されていた。



思えば団塊農耕派の数少ないデートはすべて奴隷に徹していた。女性に喜んでもらいたい、好意を持ってもらいたい、その一念でいろいろ準備し、分不相応なデート場所を選んだりもした。


間違いなくその日は非日常な一日で、その日を境に人生観が変わることもあった。わがままはすべて許し、女王様のように仰いだ。割り勘などしたことは無く、給料の大半が無くなっても惜しいとは思わなかった。男女の付き合いとはそういうもので、男は女性を持ち上げ、恥をかかせてはいけないと思った。暴力団員でもデートともなれば借りてきた猫のようになったし、東大生もその知的能力が何の戦力にもならなかった。



ところが今は違うようだ。

テレビのバラエティ番組でも、女性のプロポーズを軽薄そうな男が断るシーンは珍しくない。これは団塊の世代には信じがたく、断られた女性がかわいそうでならないが、当の女性はそれほど傷つくことも無くあっけらかんとしているので、変わったのは男性だけではないということになる。


ひょっとしたら昔のように好きでもないのに好きなような態度をされるよりも、はっきりと嫌いだと言ってくれたほうがありがたいと思っているのかもしれない。それがジェンダーフリーの時代の常識なのか、男性側のモラルの低下のせいなのか、古い価値観から逃れられない団塊農耕派にはわからない。


団塊農耕派の生まれた前の年に「教育基本法」が定められ、〝男女7歳にして席を同じゅうせず〟という考えは否定されたはずだが、団塊農耕派の通った千葉の田舎の学校にはその旧弊が色濃く残っていた。義務教育の9年間で女の子が隣の席に座ったことは一度も無く、高校も男子校に追いやられてしまった。要するに18歳になるまで異性と接する機会は皆無に近かった。


だから女性はいつも特別な存在で、年賀状が来ただけで舞い上がってしまうし、フォークダンスのある前夜など興奮して眠れなかった。女性は金銀財宝にも勝る存在で、交際の機会が訪れれば、嫌われないように心がけたものだ。暴力など振るえばすべてが灰に帰するのは当たり前で、そんな馬鹿なこと、いやもったいないことをする男はいなかった。



DVに走る男は自分を強く見せたい気持ちに支配されていると言われるが、夕張の高校の校長は卒業式の祝辞でこう言っている。「強くならなくてもいい。強くなると人は変わる。心を強くすると他人の痛みが分からなくなり攻撃的になる。弱いままでいい。弱さを失うと優しさまで失う」 


女性の前で強くなれなかっただけの団塊農耕派だが、これからはこの校長の祝辞のように生きてきたのだと言うことにする。

(団塊農耕派)

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