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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -689- 高齢者受難時代

動物の社会では「老い」は墓場送りの目安だし、人間世界でも「姥捨て山伝説」のように高齢者の人権が軽んじられた時代もあった。しかし高度成長後の日本は高齢者に異常に優しかった。国の予算の大部分は老人福祉に費やされ、その分若者がワリを食う時代が長く続いていた。令和になってようやく風向きは変わり、少子化対策が喫緊の課題だと思い始めた国は若者や子どもへの投資に躍起になるようになった。そこには若者への償いの気持ちと、若者を豊かにすることで自分の晩年の幸福につなげたいという下心が交錯している。



高齢者にとって忍耐の時代がすでに始まっている。すべてが自分たちのまいた種なので自業自得なのだが、高齢者がその現実を受け入れるには大変な覚悟が要る。


後期高齢者という別室に入れられたところから試練は始まる。クルマの免許の更新が簡単にできなくなる。買い物や外出にクルマはまだ必要なのに、国はなんくせをつけて剥奪しようとする。高齢者の起こす事故を未然に防ぐと言う大義名分がある以上、高齢者は文句を言えないし、世論も擁護してくれない。免許の喪失がどれだけ生活の質を落とすかは明白で、高齢者は必死になって更新を目指すが、刀折れ矢尽きることも珍しくないそうだ。


改正された道路交通法はまさに老人いじめがその骨子になっている。先ずは認知症の疑いがテストされる。しかしそのやりかたはズサンだ。16枚の絵を見せられ、しかるべき後でそれ思い出すというテストだが、神経衰弱みたいな問題に対してパニックに陥る人は少なくない。その結果認知症でない人までもが不合格の憂き目にあうことがよくあるという。


ちなみにこの問題をそのまま搭載した本が書店で堂々と売られており、不安にかられる高齢者の多くはその本を購入して暗記して試験に臨んでいるようで、半世紀ぶりの受験勉強のストレスは並大抵ではなく、その意味でも本末転倒な認知症テストであると言える。


加えて更新前に違反を犯した人にはさらに過酷な試練が課せられる。後期高齢者になったその日から、違反を起こせば、軽微な違反であっても、即臨時の認知症テストが義務付けられ、同時に運転適性を確かめる試験も受けなくてはならなくなる。


その内容は高齢者には相当にきつく、何度受験を試みてもクリアできない人が続出しているという。



75才を待って全員に認知症の疑いをかけ、その後の違反に対してもその都度認知症テストと運転適性テストを強要する。これは高齢者虐待だと言っても過言ではない。これだけの関所を設ければ高齢者はあきらめて免許返納に動くはず…、そんな打算があるとすれば、日本の交通行政は明らかに間違った方向に動いている。交通事故を無くすために高齢者を除外するという容易で乱暴で、そして無慈悲な法律と言うしかない。


団塊農耕派は千葉県の田舎に住んでおり、周りは農家だらけ。稲刈りのこの季節は軽トラを駆使して多くの後期高齢者が元気に働いている。道路脇にクルマを止めて稲束を積んでいるが、運悪く警官が通りかかって、道交法にこだわって停車違反の切符を切れば、その後に大きな不幸がやってくる。道交法とは誰の為のものなのか、取り締まることだけにエネルギーを費やすことがいいことなのか、関係者は考え直してほしい。

(団塊農耕派)

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