top of page
日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -690- 田舎者伝説

団塊農耕派は正真正銘の田舎者なのにそれを隠したがる習性があった。


高校は市川にあったが、SLの走る内房線で通うことを知られたくなくて、最寄り駅は千葉だと言い張った。大学時代も吉祥寺に下宿の身なのに、東京出身のように振舞って上総訛りを隠した。



ところが隠せないものがあった。


戦後生まれなのに団塊農耕派は時代遅れの価値感に色濃く支配されていて、それがあらゆる場面で言動に出てしまうのだ。それは短足の日本人が底高の靴を履いてもその不自然さゆえに簡単に見破られてしまうようなもので、戦後の欧米の文化や流行に2周遅れランナーだった団塊農耕派がいくら背伸びしても無残な結果を招くだけだった。「お里が知れる」という言葉は団塊農耕派のために用意されていた。


上総の洟垂れ小僧は県立高校の入試に落っこちて都県境の私立高校に行ったが、そこはまさに岡倉天心が羽織袴でマンハッタンを闊歩する姿と同じくらいの異邦で、4月の終わりには退学を考えるほどだった。同級生の話題はビートルズ。休み時間はその話でもちきり。


歌と言えば三橋美智也や三波春夫しか知らない団塊農耕派はいつも蚊帳の外だった。背伸びしようと思い、上野のアメ横でビートルズのレコードを買ったが、うるさいだけの音楽は耳に入っても脳に残ることは無かった。リンゴスターなど林檎の品種だと思っていた。


食べ物も同じ。野良仕事が忙しくスピードこそイノチの母が作り続けたサトイモと菜っ葉の味噌汁や自家製の藁納豆に慣らされた舌は都会の美味しいものに麻痺し続けた。大学に入り、渋谷の東急プラザでスパゲッティなるものを初めて食べたが、腐ったトマトの味がした。


〝うめぼし〟と読んでいた「餃子」が実は〝ぎょうざ〟と読むのを知ったのも小学校の高学年だった。おそらく同級生で高校入学時にスパゲッティも餃子も食べたことのない田舎者は団塊農耕派だけだったのではないかと思う。



ところがそんなとびっきりの田舎者は団塊農耕派だけではなかった。


小中学校の同級生はことごとく同じ穴のムジナだった。団塊農耕派はそれでも高校、大学、会社と都会で暮らしただけあって少しは原始人から抜け出せたが、上総に残った同級生はそのまま育ってしまった。だから4年に一度の同窓会のレトロぶりは筆舌に尽くしがたい。タイムスリップしたようだ。でも皆その世界が好きで、浸りたくて参加する。出席率は毎回80%を超す。


かように育った時代や環境はその人の人格やキャラクターを無情に形作るが、昨今のネット社会はその差を薄め、画一的な価値感を押し付けている。山奥暮らしでも最新の情報に飢えることは無く、黒猫は確実に荷物を届けてくれる。それは確かに幸せかもしれないが、便利さゆえに失ったものがあると気づき始めた人も少なくない。団塊農耕派もその一人で、いまは上質な消しゴムでも消せなかった強固な田舎者遺伝子に感謝している。



上品さに欠け、おしゃれでもない団塊農耕派はそれを要求される化粧品会社では〝らしくない〟と言われ続けた。異端児だったようだ。でも晩年はそれが心地よかった。貴族趣味で、ときに自分本位になる会社の風土に一石を投じている気分にもなった。環境に染まって少しは垢抜けたと思ってはいるが、一方でそれは懺悔の対象になっている。

(団塊農耕派)

Comments


bottom of page